一年前の妊娠中の時の話しです。
親の親たる心の限界は意外と身近にあって、それは親自身の育ってきた環境とも密接に繋がっている。
叩かれて育った親は、心の底に叩くことが普通の自分が居る人間が間違いなくいて、してはいけないことをしてしまっている。
私もその1人である。
きちんと自分のことを把握して、子どもを叩くことは無意味で一方的な親の独りよがりであることを強く認識しておく必要があると考える。
記事作成者:32才
子ども:4才
手をあげてしまった時の状況
その日は朝から上手くいかないこと続きだった。
子どもは寝起きが悪くてぐずぐず。
ご飯も着替えも何一つスムーズに進まない。
おまけにおもらし・・・。
それでも、一つ一つに小言を言えば言うほど余計に上手くいかないことは分かっている。
時間も無くなってきて少しずつ焦ってはきていたが、焦る感覚を鈍らせてやり過ごしていた。
子どもが悪いわけじゃない。
心の中で言い聞かせる。
そんな中、なんとか保育園の支度を終えて嫌がってぐずる息子を玄関の外へ連れ出した。
時間は冬の早朝でまだ辺りはひっそりとしている。
「さぁ行くよ!」と声をかけたが、これがまずかった。
時間が迫って焦るあまり、少し言い方がきつくなっていた。
ぐずりを続けていた息子が一気にパニックを起こした。
アパートの二階、階段がすぐ近くにあるのに目を固く閉じて走り回る。早朝にも関わらず、悲鳴のような声を出す。「危ない!止めなきゃ!」と咄嗟に出た右手でほっぺたを叩いてしまった。
叩かれた事を意識している子供
びっくりして動きを止めた。
すぐに泣き出す。「叩かないでー!」とまた叫び始めた。
後にも先にも直接叩いたのはこれ一回。
それでも、何か悪いことをしたと子ども自身が思っている時、近くで私が身動ぎをすると、思い出して「叩かないでー!」と叫ぶことがある。
全く叩く気などなかったのにである。
よっぽどの恐怖を感じたに違いない。
保育園に登園するまで、「お母さんが叩いた」とずっと小さな声で言っていた。
叩かれたほっぺをずっと手で押さえていた。
叩きたくなってしまった時の対処方法
基本的に今の子育て世代の親は、自分自身が叩かれて育っているということがある。
私も気付かなかったが、咄嗟に出るのは叩いてしまう右手であった。
もちろん叩いたことを自分の親のせいにして正当化するのでは無い。
しかし、叩かれてきている分、叩くという行為が自分自身で思っているよりも案外身近にあるのだ。
叩く自分が居る可能性が潜んでいることを強く意識しておかなくてはいけない。
そして、叩きそうになった時にどうするのか考えておくことである。
ちなみに私の場合は自分の左手を叩くようにしている。
叩かれて育ってきた親の世代
親も親である前に人間である。
我が子といえど叩かれたら痛くて腹は立つ。
夜泣きされたら一緒に寝不足になる。
時間にも縛られている。
常に一線はすぐ近くにあるのだ。
そして認識しておかなければいけないのは、自分の本質。
特に叩かれて育ってきた親は、叩くことが自分で思っているよりも身近にあるのだ。
身近であればあるほど一線を越すことは容易い。
また、一度越した一線は二度目からは越すことがより容易い。
そうなれば叩くことを正当化していくに違いない。
けれど、そんな時こそ冷静になって思い出すべきなのは、叩かれてきた自分である。
どんな思いをしてきたのか、そこに自分よがりは無いのか。
常に自分が危険であることを想定しておく。そして暴力は自分が終わらせるのだと強く思って止めることである。
【読み始め】友田明美『子どもの脳を傷つける親たち』
「虐待」という言葉は子供に対する大人の不適切なかかわりの中でもより悪い方の意味範囲しかとれない。もっと意味範囲の広い「マルトリートメント」という言葉を用いる必要がある。 pic.twitter.com/epfBE2xRJ7— 高橋怜央 (@lit0qesZP3d9eza) 2019年3月12日
「日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?」
体験者の息づかいまで感じられるほど、リアルで壮絶な描写に思わず目を背けたくなる。
虐待が問題視されている今こそこの本を手にとり、体験者の聲と心に耳をかたむけてみてほしい。#本カタログ #虐待本 pic.twitter.com/xVcjvFF4TD
— ふぉーく@ひと月1000冊 読書垢 (@fork_book) 2019年3月9日
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